沖さんコラム

取材記事


搾取され続ける団塊ジュニア~『下流社会マーケティング』三浦展著

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●二極化の下層に対するセールスではない


 本書で描かれている消費の姿や、顧客が求めるニーズというものは下流社会だから「こうなる」というものではない。人口統計上や経済の大きな流れの中で「こうならざるをえない」というものだ。少子化や経済の二極化により、上層部の「富裕層マーケティング」というものが現在マーケティング業界のトレンドになっている。その中にあって「下流社会マーケティング」というお題をうつからには、そのアンチテーゼや、二極化の下層部をターゲティングしたマーケティングが記述されているものと読者は期待する。


 しかし本書はそのような所得が少ないとされる顧客をターゲティングするマーケティングが記述されてはいない。本書で描かれているマーケティングは、「団塊ジュニアマーケティング」である。


 2005年現在、団塊ジュニアは30代となり、結婚して子どもができつつあるところです。ところが彼らの新婚生活は、団塊世代とはまったく違っています。
(本書29ページより抜粋)


●真性団塊ジュニア


 1947年から49年の3年間は毎年約270万人の子どもが生まれ、今日本で最も人口の多い世代はこの3年間に生まれた人たちだ。この世代を“団塊”と呼んでいるのだが、本書の特色は、この団塊を両親に持つ“真性団塊ジュニア”に対してマーケティングしているところにある。2005年度の出生数は約107万人であるから、新しく産まれる新生児の約2.5倍団塊の世代は存在している。彼らは日本の高度経済成長と呼応する形で産まれ育ち、それに伴って消費を生み出してきた。マイカー、クーラー、カラーテレビの頭文字を取った“3C”などという言葉に対応する現在の消費は存在しない。そもそも生まれながらにして現代の生活にはモノが存在しているし、人それぞれライフスタイルは変わっているのだから、皆が揃って「お隣さんが買ったらしいわよ」という消費の喚起は起らないわけだ。「下層」とは関係なく団塊世代が結婚し、子どもができた時の消費と、団塊ジュニアも含めて現代の若者が起こす消費需要には隔たりが大きい。


 本書では「真性団塊ジュニア」と「ニセ団塊ジュニア」では消費行動が大きく異なるという記述がされている。「真性」か「ニセ」かの違いは、親が団塊世代かどうかの違いだと言う。一般には団塊ジュニアとは「第二次ベビーブーム」として2つめの山をつくった71年から74年生まれの世代を指す。しかしこの4年間では親を団塊世代に持つ子どもは約半分しかいないらしく、著者はこの4年を「ニセ」と定義し、実際に団塊世代を親に多く持つ73年~80年生まれの世代を「真性」と名付け、異なる消費行動をすると著者は提示している。


 私ごとで恐縮だが、私は73年生まれだ。ニセにも真性にも含まれる際どい世代であるが、第二次ベビーブームのピークとしてこの世代の消費は実体験を通して考えることはできると思う。恥ずかしながらこの32年間で流行ったモノはことごとく乗って来たという自負がある。しかし、私の産まれた73年とニセと著者が定義する72年生まれとではそんなに消費に違いはあるだろうか。先日TVニュースで子どもの出生率が6年ぶりに増加し、昨年の1.25を上回る見通しであることが政府より発表していた。この発表に対してTVのコメンテーターが「そう言われれば周りで子どもを産んでいる人が多いです」と言っていたが、多い訳がない。1.25が例え1.26か1.27になったところで何の違いがあるだろうか。たとえば突然「今年の出生率が2.07になった」というならばそれは全然違うことで周りの現象も違えば、この世代がもたらす消費行動も1年違うことで全く異なってくる。経済の流れや流行は親の世代よりも同世代がどのような消費をするかに大きく影響される。72年生まれだろうが、73年生まれだろうがさほど大きな違いは無いと私は考えるがいかがだろう。


●「ニセ団塊ジュニア」は冷めた目で団塊世代を、社会を見ている


 「ニセ団塊ジュニア」と著者が名付ける71年~74年生まれの世代の特色として非常に納得の行く指摘がある。彼らは人口が多いので、高校、大学と受験戦争に突入させられた。どこの大学でも倍率10倍くらいはしていて、予備校や図書館の自習室は朝から長蛇の列が普通だった。彼らが高校生の時、バブル経済のピークにあり、当時の大学生の就職は引く手あまたで大学生は学生生活を満喫していた。高校生の我々も大学生になればバラ色の学生生活が送れると思い、受験戦争を終えて大学生になったと思ったらバブル崩壊である。自分達が就職活動をする時は超氷河期という極寒の時代、企業に就職したと思えばボーナスはカットされ、厳しいノルマが課せられる。聞こえてくる上司の愚痴と言えば「ウチだってバブルの頃は●ヶ月のボーナスあったんだよ」と言うものだ。


 我々団塊ジュニアの世代は皆分かっているのだ。我々が年金など老後にもらえないことも、今は横目に「あがり(定年)一歩手前」として遊んでばかりいる団塊オヤジも、自分達がオヤジになったときには同じ待遇など受けられないことをも分かっているのだ。


 平たい話、団塊ジュニアは全く“オイシイ思い”をしたことが無い。そして自分達が生きていくことに精一杯なのだから、子どもなど産もうと思うハズも無い。第二次ベビーブームの世代が「第三次ベビーブーム」の山を作ろうという気概が無いのだから、同じく消費の山が出来て、自分達の世代を支えてくれるなんて期待などするハズが無いのだ。


 このような社会に冷遇されてきた団塊ジュニアの消費行動は本書が指摘するように「慎重・堅実・長く使って飽きない・シンプルなもの」という特徴があるのは納得がいく。


 著者はこの消費行動を「下流社会」と定義しているのだろうか。バブルを経験したことの無い団塊ジュニアの心は「また搾取される」のではないかというトラウマだ。本書で記述されているマーケティングの世界は日本の人口の推移や今後の予測から想像できる正論であろう。団塊ジュニアを代表して言わせて頂くならば本書の表題を「団塊ジュニアのトラウマ・マーケティング」と名付けたい。




次回コラム予告
斎藤駿著『なぜ通販で買うのですか』



【オススメ度(辛口)】
下流社会マーケティング  ★★★☆☆




【関連サイト】 
沖 広一郎 ブログ
株式会社セノビー


掲載日:2006/10/09